音節と俳句の話Free carecowards to become Ms.Not これは何? 有名な一種のジョークなので見たことがある人は多いかもしれない。 これは有名な俳句である。 「古池や かわず(蛙)飛び込む 水の音」 訳すとこうなる…わけではないのだ。「読むと」こうなるのである。声に出して読んでみてね。 (英文自体は意味をなしていない。自由な注意? 臆病者になる? ノット女史?) これは冗談であるが、英語圏でも実は俳句はとても人気があるらしい。俳句の約束事は、と言えば、季語を入れるとかのほかに、なにはともあれ「5-7-5」である(と日本人は思っている)。なにが「5-7-5」なのか? 「文字の数でしょ」 それでは英語の俳句にした場合、1行にせいぜい1単語しか入らない。 「拍の数でしょ」が正解である。 その「拍」すなわち「音節」が、日本語の場合はかな文字と一致するから、俳句の五七五は(かな)文字の数と言っても間違いではない。 それじゃあ、英語で俳句を作る場合はどうするの? もちろん、英語にだって「音節」はある。簡単に言えば、音節とは母音を含む1単位である。日本語は、以前に述べたように「(子音+)母音」が1文字、つまり音の最小単位(ようするに1文字=1音節)だから話は簡単だが、子音だけの音が山ほどある英語などでは少し面倒くさい。 ストロングはカナで書けば5文字すなわち5音節になるが、英語ではstrongで、母音は一つしかないから、これは1音節、1拍の語なのである。「ストレート」ともなると、同じようにカナは5つあるが、英語でつづればstraightで、やはり音節は1つ、だが文字は8つもある(すでにこれでは俳句に使えない?!…もし「文字の数」を数えるならね)。 1音節のはずのstrongが日本語では5音節になってしまうところに、日本人が英語を学習するに当たっての大きな問題がある。 母音を伴っていない子音の発音が聞き取れない、ということなのである。 これから、それをもう少し具体的に見ていこう。つまり、子音同士がつながっているときの発音についてだ。 その前に、前ふりとして長々述べた俳句のことについても一応「おとしまえ」をつけなければならない。 英語で5-7-5の拍数にこだわって作った俳句は、たとえばこんなもの(ネットで検索して拾ってきた)。 after father’s wake the long walk in the moonlight to the darkened house [written by Nicholas Virgilio] (試訳:父の通夜の後 / 月の光の中をずっと歩く/ 暗くなった家に向かって) Between two mountains the wings of a gliding hawk balancing sunlight [written by David Elliot] (試訳:山々の狭間を/滑空する鷹の翼/陽光を天秤にかけるように) 「1拍」の文字数が多い分、情報量も多くて、日本語の五七五の倍ぐらいのことが言えている(普通の歌の歌詞などもそうである。英語の歌詞を直訳したらとても元歌のメロディには乗らない)。 が、そのために、これでは長すぎて俳句の真髄である「限界的に短い中に情景や心情をこめる」という感じが鈍くなる、という説があり、今の英文俳句は五七五にはこだわっていないらしい。音節にしたら2とか3の短いものが主流だそうだ。ようは、上記の「真髄」が生きていればいいのである。 そもそも、いくら「拍の数」が同じでも、やはり日本語と英語ではリズムが違うところが多々あり、上記のものを声に出して読んでみても必ずしも日本で言う俳句、という感じはしない。それはそれで味があるが。 逆に、日本語の俳句をそのまま「ガイジン」に読んでもらっても、母国語のリズムのくせがある人の場合、やはり「ヘン」になる。 「フッリーケーヤー カッワズトゥビカーム ミーズノーット!」 で、冒頭のFree care cowards to become Ms.Not になってしまうわけである。 ところで、「古池や~」の句(をはじめとした松尾芭蕉の句)は、世界中の俳句愛好者のバイブルであるらしい。まじめな「訳」もいくつも試みられている。その例は The old pond; A frog jumps in, The sound of the water. (R. H. Blyth訳) …って。けっこう「まんまやんけ」だよね…。 ………余談の方が主流のように長くなってしまうのは私のくせなのでまあご容赦ください。次回からまじめに(?)「子音のコンビネーション」について話します。 前へ 次へ |